ネーデルラント連邦共和国
共和国が成立してもスペインとの戦争は終わらなかった。ネーデルラント諸州は1602年、連合東インド会社(オランダ東インド会社)を設立してアジアに進出し、ポルトガルから香料貿易を奪取して、世界の海に覇権を称えた。このため貿易の富がアムステルダムに流入して、17世紀の共和国は黄金時代を迎えることとなる(オランダ海上帝国)。1609年にはスペインとの12年停戦協定が結ばれ、1621年に停戦が終わると、独立戦争はヨーロッパ全体を巻き込んだ三十年戦争にもつれ込んだ。1648年、三十年戦争を終結させたウェストファリア条約の一部であるミュンスター条約でスペインはネーデルラント連邦共和国の独立を正式に承認し、80年にわたる独立戦争は終結した。
オランダ東インド会社は、アジアだけでなく南北アメリカにも植民地を築いた。しかし各地の植民地でイギリス東インド会社と衝突し、ついには3次にわたる英蘭戦争となり、次第にイギリスより劣勢に立つことになった。
1672年、イングランドがオランダに宣戦布告し(第三次英蘭戦争)、つづいてフランス王国も宣戦を布告した(オランダ戦争)。この国家的危機のため、1672年は「災厄の年」と呼ばれる。オラニエ派と共和派の対立も深まり、ついには1653年以来共和制の指導者であったヨハン・デ・ウィット兄弟が倒され、ウィレム3世がオランダ統領(総督)職に就いた。
1688年、イングランドで名誉革命が起こると、ウィレム3世は妻メアリー2世とともにイギリスの共同統治者(ウィリアム3世)となり、イギリスとネーデルラントは1702年までの20年余、ともに同じ元首を頂くことになった。18世紀始めに勃発したスペイン継承戦争ではネーデルラントはフランス・スペインを相手にイギリスとともに戦った。しかし18世紀末葉になるとフランスの啓蒙思想が共和国にも流入し、統領職を代々世襲するオラニエ=ナッサウ家に対する反感が高まった。